みなさん、突然ですが下記で思い当たる節はありませんか?
- 数学で文章問題が解けない
- 地図を見ながら移動するのが苦手
- 自分のしている作業を遮られるのが嫌い
- 異性と話すのが苦手
- 方向音痴で、どっちに向かって歩いているかわからなくなる
- 相手の表情から人の気持ちを理解するのが苦手
- アナログの時計、もしくはデジタルの時計が苦手
- よく電車を間違える(逆方向の電車にのる)
- 知らず知らずのうちに言葉で人を傷つけていた
- あれこれ考える前に、とりあえず動いてみる人
- 文章を書くのが苦手
少しでも当てはまるものがあれば、あなたは発達障害かもしれません。
「エッ!?」と驚く人や「やっぱりそうだったか」と納得してしまう人、人それぞれ何かしら思うものがあると思います。
そして、「何かしら思うもの」があった人には、このエントリーが役に立つと思いますので、最後まで読んでいただけたらと思います。
発達障害とは
近年、「発達障害」という言葉が多くの人に知られるようになってきましたが、その本当の意味を理解できていない人が大半です。
そこで、まず「発達障害」について説明します。
発達障害とは
- 自閉スペクトラム(ASD)(自閉症・アスペルガー症候群などの総称)
- 注意欠陥・多動性障害(ADHD)
- 学習障害(LD)
の三つをまとめて呼んでいるものです。
(最近、アスペ(アスペルガー症候群)という言葉を聞くようになってきましたが、これも「自閉症スペクトラム症」の一種です。)
まずこの3つについて、わかりやすく説明します。
自閉症スペクトラム(ASD)
「自閉症スペクトラム」とは、自閉症・アスペルガー症候群など複数の症状をまとめて呼ぶ名称のことです。
ここでの「スペクトラム」は「あいまいな境界を持ちながら連続していること」の意味です。
わかりやすく言うと、「様々な症状がはっきりした分かれ目がなく、混ざり合って存在している」ということです。
特徴として代表的なものを挙げておきます。
自閉症
- 言葉の発達の遅れ
- コミュニケーションの障害
- 対人関係・社会性の障害
- パターン化した行動
- 強いこだわり
アスペルガー症候群
- 基本的に、言葉の発達の遅れはない(知能は高い)
- コミュニケーションの障害 (注)
- 人の顔が覚えられない
- 言葉のままに受け取る(冗談が通じない)
- 融通がきかない
- パターン化した行動
- 興味・関心のかたより
- 不器用
アスペルガー症候群は大学教員に多いらしく、またあの有名なスポーツ選手でもあり「毎朝カレーを同じ量だけ食べる」ことでも有名なイチロー選手もアスペルガー症候群だと言われています。
(注) 一見コミュニケーション障害がないように思えても、人の表情や態度から相手の気持ちを汲み取り行動するのではなく、過去の経験に基づきこういうタイプの人にはこういう対応をすればよいというパターンを暗記し適用することでコミュニケーションが取れている場合もあります。
注意欠陥・多動性障害(ADHD)
「注意欠陥・多動性障害」については、身体的・精神的な成長に伴って、症状が落ち着いてくることが多いようです。
また、今までの経験から自分の行動の癖を知り、「こうすれば自分を制御できる」と学び、それを実践することで、症状を抑えられている人もいるようです。
なので、昔の自分を思い返しながら、特徴を確認してみてください。
- 年齢を重ねると、症状が落ち着く傾向にある
- 不注意
- 集中できない
- 少しの刺激で注意がそれる
- 動きたい衝動にかられる
- よくしゃべる
- 質問が終わる前に答えてしまう
- 考えるよりも先に動く
- 遅刻が多い
- 順序立てたり、計画的にできない
- 高いところに上る
- 優先順位がつけられない
- じっと座っていられない
学習障害(LD)
「学習障害」とは文字通り、学習時に必要とされる能力が足りず、勉学に支障をきたすというものです。
- 読むことが苦手
- 書くことが苦手
- 計算することが苦手
- その他、様々な能力の不足
あの米国俳優のトム・クルーズさんは「文字が読めない」そうで、学習障害であると公言しています。
ここまでで「発達障害」について説明してきましたが、このエントリーのはじめで「下記で思い当たる節」として確認したものを含め、全ての人が少なからず1つくらいは「あ、これ私のことかも」と思ったものがあったのではないでしょうか?
実はこの「全ての人に当てはまる」ということが、発達障害を考えるうえで重要になります。
発達障害の側面はみんなにある!? 発達でこぼこ(凸凹)という考え方
近年、専門家の間では「発達障害」のことを「発達でこぼこ(凸凹)」と呼んだりしています。
そして、僕自身も「発達障害」より「発達でこぼこ(凸凹)」と呼ぶ方が、よいのではと思っています。
理由は、「障害」という言葉が「”当たり前”とは異なる」というイメージを想起させ、多くの人が自分とは関係ないと思ってしまうからということと、一方で「でこぼこ(凸凹)」という言葉のほうが人間の発達状況を上手く表していて、「障害」という言葉よりは多くの人に自分事として考えてもらえると思うからです。
発達障害の「障害」は、いわば「能力不足により社会に適応できない」ことを表しています。
しかし、「社会への適応」ではなく、「発達の特徴(得意なことと苦手なこと)」にフォーカスしようというのが「発達でこぼこ(凸凹)」です。
みなさんにも必ずこの「発達でこぼこ(凸凹)」があります。
僕は中学生のとき、数学の文章問題が苦手でした。
文章から数式に落とし込むことがなかなかできなかったのです。
特に、「食塩水の濃度問題」は全く理解できませんでした。
これは僕の「文章の意味を理解する能力」が低かったためです。
しかし一方で、単純な「計算系」や「暗記系」は得意でした。
他にも、「複数の作業を同時並行で進めることが苦手」である一方で、「単一作業への集中力はすごい」などの「発達でこぼこ」が僕にはあります。
この例のように、人には必ず「発達でこぼこ」、つまり「発達障害の側面」があるのです。
そして現在では一般的に、この発達でこぼこが顕著だったり、同年齢の平均的な発達に比べて全体的に遅れていたりすることで、社会(職場や学校など)に適応することが難しい人たちに対して「発達障害」であると言っているのです。
つまり、全ての人が発達障害の側面を持っていて、特にそのでこぼこが顕著で社会に適応することが難しい人を発達障害と呼んでいるだけなのです。
ちなみに発達障害と診断される人の割合は、10人に1人とのことです。
発達の促進
みなさんに必ずある「発達でこぼこ」ですが、多くの人は様々な経験を通じて発達が促進されることで、大きな問題(社会に適応できないということ)にはならなくなっていきます。
もちろん、あくまで社会に適応できないほどの問題にならないだけで、少なからず問題になることはありますよ。
僕の話を例にしますと
- 彼女からの指摘で、以前は全くできていなかった「人の気持ちを考えて発言する」ことができるようになった。
(未だに「あの発言は人を傷つけたかな」と反省することはあります) - 研究室の先輩に指摘されたことで、「話し相手の言葉をそのまま受け取るのではなく、こういうことが言いたいのかなと考えながら話す」ようになった。
(これは問題にならないくらいには改善されたと思います) - 理系の大学に進み、何年も数学や物理をやり続けたことで、「以前は苦手だった文章などから数式に落とし込むことができる」ようになった。
(未だに「これでいいんだよね?」と自信がないときはあります)
などがあります。
このように発達は、人との付き合いや様々な経験を通して “促進される“のです。
また、発達はほとんど促進されていないが、今までの経験を元に大きな問題にならないように対処するという人もいます。
これまた僕の話を例にすると、
「思考が発散しやすく、やっていることが移っていってしまう」という問題点を、「興味が出たことをメモしておく」ことで、後々見返せば考えていたことを思い出せるという安心感を得られ、「目の前のことに集中できる」ようになる
ことがあります。
この例は自分で対処法として意識しながらやっていることですが、人によっては無意識にやっている例もあります。
その例として挙げられるのが、「自閉症スペクトラム」の説明のところの(注)でお伝えした、「コミュニケーションのパターンを暗記していて対応する」というものです。
このようにして、多くの人は自分の「発達でこぼこ」があっても、「発達の促進」や「自分なりの対処法」で社会に適応しています。
(適応しているように見えているだけのこともあります。)
(さらに付け加えると、総合的に見て社会に適応できているだけで、個別の能力だけで見たら「上手く社会に適応できていない部分」があるという人も多いかもしれません。)
またここで非常に大切な注意点をお話します。
それは
“発達は促進される“という事実がある一方で、その促進のスピードが「とてもゆっくりな人」や「促進されにくい(されない)人」がいるというのも事実でして、社会になかなか適応できないほど発達でこぼこが顕著な人もいます。
ということです。
なので、一概に努力すれば発達でこぼこ(発達障害)が改善されるとは言えません。
実際に「発達障害」と診断された方々は、努力だけではどうにもならない方も多くいます。
この点だけは勘違いしないようにしていただけたらと思います。
大人になってからの発達促進方法
ここからは自分の経験を元にした「自論」です。
なので、あくまで参考程度に見てもらえたらと思います。
僕は発達が促進する過程には以下の2つがあると考えています。
- 「周りに影響されて、自然と促進される」場合
- 「自分の能力の不足を認識することで促進される」場合
まず前者の例を示します。
私の置かれていた環境は、私の家は自営業をやっていることもあり、見ず知らずの人との挨拶や会話が自然と発生する環境でした。また電話もよくかかってきたため、電話対応も自然とやってきました。これにより、私のコミュニケーション能力の一部、特に人見知りしないことや第一印象が非常に良いこと、会話のテンポ感は促進されてきました。(一方で、コミュニケーション能力のなかで話し相手の気持ちを想像しながら会話する能力は低いままでした。)
これは子供から大人にかけて成長する過程で周りの環境の影響を受けて自然と発達が進むというもので、すでに大人になってしまった方にはほとんど関係ないと僕は思っています。
次に後者の例には以下のようなものがあります。
私は文章を書くことが非常に苦手でした。これは特に大学受験の勉強で小論文を書く機会があった際に痛感しました。しかし、大学に入り、多くの文章を書くにつれて、書くことへの抵抗が減りました。また文章を書くにあたって、構成を意識する必要があることを友人や教員の方に気が付かせてもらい、そこからは苦手なりにも構成を意識しながら文章を書くようになりました。結果、今はある程度まともな文章が書けるようになってきました。
大人の方で「もっと発達を促進させたい」と考えている場合は、こちらのような方法を取ることでしか改善できないと僕は考えています。
つまり、まずは「自分の能力で至らない点を認識」して、その後にその点を改善していこうと「意識的に改善に取り組む」必要があるということです。
ここでの「意識的に」とは、何度も考えながらトライ&エラーを繰り返すことです。
少なくとも僕の経験では、この方法で発達が促進されました。
一例として、先ほど挙げた「人の気持ちを考えて発言する」ことができるようになるまでの過程をお話します。
僕は高校生のころ、発言するときに思ったことを何も考えずに発言するような人でした。
なおかつ語彙力も貧弱だったため、自分の発言が「自分の意図した内容とは違う内容」として相手に取られたりすることがよくありました。
そして、このせいで恥ずかしながら高校生の時にお付き合いをしていた女性(以下、彼女と呼ぶ)を含む女の子を3人ほど泣かせてしまったことがあります。
(彼女が僕とその女の子たちの間に入ってくれたことで、ちゃんと仲直りができました…本当に彼女様様です)
こんな僕でしたが、他人への共感力が高くちゃんと考えてから発言するタイプであった彼女からの指摘により、自分に能力として欠如している点(この場合では、話し始める前に一度頭で考える能力の欠如)を認識することができました。
そして、そこから3年以上かけて、少しずつ頭で一度考えてから話せるようにしていきました。
最初のうちは、何か発言をした数時間後や数日後にあの発言は「こうしたほうがよかった」というような後悔をするようになるというところから始まりました。
この期間が1年くらい続きました。
そしてまた1年くらいすると、発言した数秒後に「あー、こう発言したほうがよかったな」と思えるようなレベルまできました。
さらにもう1年経つと、話す前に「こういう言葉を使った方が相手に自分の意図がちゃんと伝わるのでは」とまで思えるようになってきました。
ただし、このときでさえまだ発言した後に後悔することが結構な頻度でありました。
このときすでに自分の至らない点を認知してから約3年の月日が経過しています。
さらに年月を重ね、今では自然と「発言する前に一度考える」ことができるようになりました。
(最終的に他人から見て問題なくなるまでは5年はかかったかと思います。)
もちろん未だに「さっきはこう言った方よかったな」と後悔することはありますが。
私の経験からではありますが、僕のように大人になってから発達の促進を行うためには、自分の能力の欠点を認識し、かなり長い期間、意識的に何度も何度もトライ&エラーを繰り返す必要があると私は考えています。
ちなみに話の本筋から少し逸れた話になりますが、彼女は大学で心理学科に進学しており、発達障害の授業を受けた際に、授業で説明される特徴の多くが僕の特徴と合致すると思ったそうです。
具体的には
- 思ったことをそのまま口に出してしまう(僕が18歳の時に幼稚園児レベルだったらしい)
- 相手の気持ちを考えることができない(たぶん今でも上手くできていない)
まあ、簡単に言えばデリカシーがない発言や行動をしてしまうとのことです。
最終的に彼女の出した結論は発達障害ではないとのことですが、個人的にはかなり軽度ではありますが、自分自身が発達障害の可能性はあるかもとは思っています。(少なくとも周りの人よりは他人の気持ちを考えるという能力は低いとは思います。)
臨床心理士に判断してもらったわけではないので、本当のところはわかりませんが…
一応そう思う理由も話しておくと「人の気持ちを考えて発言する」ようになったと先ほど言いましたが、実は「相手の気持ちを想像してから話す」というニュアンスと少し異なります。
より正確にお伝えしますと、実際のところは「”バックグラウンドが自分と大きく異なる”他人の気持ちの想像する・もしくは気持ちに共感する」ことがあまりできていなくて、「この発言をしたら、自分の彼女や友人ならこう反応するだろうな。だからこう言った方がいいだろう。」というように過去の経験から、話すときに使う言葉を選んでいます。
これってアスペルガー症候群のところでお話ししたパターン暗記のようだなと自分のことながら思っています。
また僕の過去の経験についてもかなりの量と密度があると思っていて、彼女とはあの3年間にほぼ毎日1時間以上の電話をしていて、僕の言葉で度々傷つかせて泣かせてしまうことがありました。週に最低2回は泣かせてしまっていたかと思います。
また大学の友人たちともいざこざが度々ありまして、そのたびに「お前のこういうところは良くないぞ」や「お前の発言からこう思った」というような率直な意見を言ってくれたりしました。
今ある程度まともな会話ができるのは、こんな僕に愛想尽かさずに何年も接し続けてくれた彼女や友人たちのおかげだと思っています。
最後に
発達には”個人差”があります。
人によって得意なこと、苦手なことがあるのです。
「発達障害」の認定は、あくまで人が人を能力で線引きし、社会への適応が難しい人を明確化するために行われているだけで、実際はすべての人が「発達障害の側面」をもっています。
つまり発達はそれぞれの能力ごとに濃淡があるだけで、本来であれば発達にはっきりとした線引きはありません。
実際、発達障害と診断されなくてもグレーゾーンの人たちはいて、その人たちは色々と試行錯誤し、苦労ながら社会にどうにか適応しています。
(勘違いされる方がいるかもしれないので言っておきますが、発達障害と認定されたことで、生きやすくなったと感じている方たちもいますので、線引きすること自体が悪いと言っているわけではありません。)
つまりこのエントリーで何が言いたかったかとまとめますと、
発達障害は何も特別なものではなく、全ての人に濃淡差はあれど存在するもので、あくまで人の「個性」であるということです。
そしてその「個性」が強いために、社会に適応できない人もいるということなのです。
なので、僕たちは「人」としても「社会」としても、「人それぞれには得意不得意があり、不得意なところは周りができるかぎりサポートしていこう」というスタンスでいることが大切なのだと思います。
以上でこのエントリーを終わります。
内容が「発達障害」というかなりセンシティブな内容なので、今回のエントリーの内容に対して良くも悪くも思う人がいるかと思います。
正直なところ、ネットで炎上してしまうのではないかという不安さえあるのですが、少しでも多くの方に発達障害のことを理解していただけるきっかけになればいいなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それと読んでいただいた方に、1つ謝らなければいけないことがあります。
それはこのエントリーのはじめに「下記で思い当たる節」として列挙したものは、「なるべく多くの人がどれかしらに当てはまるように」という意図をもって、発達障害の方のもつ特徴から発達障害でない方にもみられるであろうものを選定し書いたものでして、実際あれらに当てはまるからといって発達障害であるとは断定することはできません。
可能な限り多くの人にこのエントリーを読んでもらうことで、「発達でこぼこ」の概念を知ってもらいたい、「発達障害」を自分事として考えてもらいたいという思いから、このような卑怯な手段をとった形になります。
本当に申し訳ありません。
以上になります。ありがとうございました。
*本エントリーの内容は、僕が教職課程で学習した内容や、授業中に臨床心理士や教員の方から聞いた話をもとに書いています。もしエントリーの内容で間違ったところがありましたら、お手数ですがツイッターのDMでご連絡いただけたら幸いです。
*本エントリーは、あくまで僕の経験を元に書いたものであり、正しくない情報が含まれている可能性があります。もし読者が本エントリーを参照したことで不利益を被ったとしても、当方では一切の責任を負いかねますので、その点は了承ください。
*本エントリーを元に自分のことを発達障害だと自己診断することはしないようにお願いいたします。もし診断の必要があれば、自己責任において専門の医療機関等を受診してください。